1. 作戦の概要

報告者は蒲田。今回こそ来てます。

来年の今ごろ、日本語には「半島る(はんとうる)」という動詞が定着している。ラ行五段活用。意味は「集団とつながったまま、三方向だけ人を拒んでいる状態になる」。

飲み会の長テーブルの端で、体を四十五度外へ向けてスマホを見ている人がいる。帰ってはいない。会計には参加する。話しかければ答える。しかし三方は海である。日本語はこの状態を長年「ちょっと静かだね」で済ませてきた。語彙の空白地帯だ。手応えしかない。

事前調査として「半島る」「半島ってる」を検索した。出てきたのは英単語 peninsula の辞書ページばかりで、用例は見つからなかった。先行者なし。市場は丸ごと空いている。

作戦名は「満潮」。期間は10月26日(月)から11月1日(日)までの七日間。目標は普及率1.0%、すなわち約122万7千人。一人が一日に何人へ感染させれば七日で届くかを計算したところ、7.41人と出た。これを着床係数と名付けた。7.41。いける数字だ。一日30回の発話を義務とする。

2. 装備

現場で迷わないよう、活用表と診断基準を作成した。

活用語形例文
未然半島らない今日の飲み会、俺は半島らないよ
連用半島って部長、さっきから半島ってます
終止半島る人は酔うと半島る
仮定半島れば半島れば誰かがお茶を注ぎに来る
命令半島れいいから半島れ
意向半島ろうそろそろ半島ろう
蒲田式半島度名称症状
第1度出っ張り体が少し外を向く
第2度岬スマホが出る
第3度半島話しかけられるまで話さない
第4度陸繋島トイレの帰りだけ砂州が出て会話に戻る
第5度離島帰った。割り勘の連絡だけ定期船で届く

蒲田式半島度を説明する五段階の落書き

3. 経過

10月26日(月)9時14分 初回投入

始業直後、同僚の佐野の隣で自然に発話した。

「課長、今朝だいぶ半島ってるね」 「どこの?」 「いや、半島」 「房総?」

佐野は房総の出身だった。11時40分まで実家の裏の坂の話を聞いた。発話数は1のまま昼休みに入った。

10月27日(火)19時30分 飲食店への浸透

町中華「大福楼」にて、餃子を待つ店主に「今日は常連さんが半島ってますね」と投入。店主は厨房に戻り、餃子をひとつ多くつけてくれた。心配されたのだと思う。意味を聞かれたのは二日目にして初。「三方を拒む状態です」と答えたら「そう」と言われた。そう、は肯定である。

10月28日(水)23時02分 ノルマの消化

だれた。この日の対人発話は4回で終わった。残り26回を風呂で言った。「半島る、半島る」と唱えているうちに湯が冷め、途中から「はんとう」が何語かわからなくなった。集計上は発話である。

10月29日(木)12時20分 第二段階「逆輸入偽装」

国内の種まきは十分と判断し、海外発の流行を装う段階へ移行した。佐野に「最近、海外の若い人が Hanto-ru って言うらしい」と伝えた。

「海外ってどこ」 「半島の多いところ」 「どこ」

昼食が終わるまで答えられなかった。同日夜、高校生の甥にも電話で教えた。意味を説明すると、三秒ほど間があって「おじさん、それ自分の話?」と言われた。若年層の理解が早い。

10月30日(金)20時05分 本作戦の山場

課の飲み会。長テーブルの端で部長が体を四十五度外へ向け、スマホを見ていた。第3度。教本どおりの個体だ。全員に聞こえる声で言った。

「部長、さっきから半島ですよ」

座が止まった。部長がゆっくり顔を上げた。

「……どこの?」

20時07分、部長の実家が半島の先にあると判明。佐野が「房総です」と身を乗り出した。20時30分、話題はフェリーに移り、課の全員がそれぞれの実家の近くの海について語り始めた。部長は完全に陸地へ戻った。第3度の個体を言葉で救出した初の事例である。言葉のことは誰も覚えていない。

21時10分、気がつくと私はテーブルの反対の端で、体が四十五度外を向いていた。スマホも出ていた。第2度から第3度へ移行中と自己診断した。この状態を正確に言い表せる語を、日本語で私だけが持っている。佐野が振り返って言った。

「蒲田、ちょっと静かだね」

11月1日(日)16時00分 普及地図の設置

確認された話者の居住地にピンを刺す地図を作った。ピンは百本入りを買った。今後足りなくなるので、早めに次を探しておく。

何の印もない白地図と未開封のピン

4. 成果

七日間の総発話数は210回で、ノルマは完遂した。内訳は対人63回、独り言147回(うち風呂96回)。対人63回の反応は、「どこの?」が38回、聞き流しが23回、意味の質問が2回。自発的に使ってくれた人は0人だった。着床係数の実績は0.00である。計画値の7.41とは少し開きがある。

分母には総務省統計局の人口推計、2026年10月1日現在の概算値1億2269万人を用いた。発案者本人を話者に数えれば1÷1億2269万で0.00000082%となり、数字が立つ。この算定を監査役の佐野に提出したところ、「それは普及じゃなくて発症」との所見で差し戻された。分子から本人を除く。

作戦「満潮」最終結果 普及率 0.0%

小数第一位までの数字だ。目標まで残り1.0ポイント。甥の理解は早かったし、店主は「そう」と言った。次の言葉はもう決まってます。手応えしかない。