1. 作戦の概要

報告者は蒲田。今回こそ来てます。

前回予告した次の言葉は、たしかに鍋の裏に書いてあった。ところが11月4日の朝に裏返すと、弱火14時間19分を経て字の大半が飛び、末尾の「のる」しか読めなかった。書いたときの記憶もない。「ゑ」の札を書いていた頃の私である。

復元の資料として過去の集計を読み返し、そこで手が止まった。

作戦対人発話「どこの?」
満潮6338
弱火4117
計10455(52.9%)

私の語を自発的に使った人は0人。一方で「どこの?」は、誰に教わるでもなく55回発せられている。流行語はもう流行っていた。私の隣で、ずっと。

あとは名前をつけて登記するだけだ。末尾が「のる」である点も合う。

どこの・る 〔自ラ五〕 相手の話の中身に触れず、由来だけを聞き返す。「報告の途中で部長が—・った」 ◇本人に自覚はない。

検索したが、この意味の用例は見つからなかった。これまで市場は丸ごと空いていた。今回は違う。語は空いていて、話者だけが満員である。足りないのは本人への通知のみ。

作戦名は「本籍」。七日、48時間と縮めてきた期間は、11月4日(水)9時00分から24時00分までの15時間とした。目標は今回も普及率1.0%、122万6900人。必要係数は2.55。通知するだけなので、いける数字だ。

活用は「どこのらない/どこのって/どこのる/どこのれば/どこのれ/どこのろう」。命令形の例文は「そこはどこのれ」。

2. 経過

9時10分 告知(必要係数 2.57)

隣の席の佐野に自然に言った。

「佐野、どこのってるよ」 「どこの?」 「それ。それがどこのる」

集計表を渡した。佐野は黙って表を見た。9秒。第2膜である。

「おれら、こんなに言ってんの」 「話者です。おめでとうございます」 「気をつけるわ」

気をつける。流行語への反応としては初めて聞いた。意識の高い話者だ。

12時15分 報道発表(必要係数 3.30)

課のグループチャットに投稿した。

報道関係各位 「どこのる」、課内で話者7名を確認 皆さまはすでに話者です(発案者調べ)。おめでとうございます。

既読は7。返信は無かった。佐野が部長に何か説明しているのが、仕切りの向こうに見えた。監査役自ら広報に回っている。今回こそ来てます。

14時30分 打ち合わせ(必要係数 4.37)

本作戦の山場である。ストップウォッチを机の下に隠し、議題の切れ目に餌を置いた。

「週末、いい湯葉を食べまして」

部長が顔を上げた。口が「ど」の形になった。来た。話者の発症を、初めて目の前で観測する。

部長はそこで止まった。3秒。私の顔を見て、ゆっくり言った。

「……どちらの?」

部長に敬語を使われたのは入社以来初めてである。続けて「実家の裏の坂が」と置くと、後輩が「どちらの?」と言った。「この前の温泉が」には課長が「どちらの?」。会議室が急に上品になった。

17時40分 分析(必要係数 9.15)

この時点の対人発話22回のうち、「どこの?」は朝の佐野の1回だけで、「どちらの?」が11回。残りは「気をつけます」と聞き流しである。

通算52.9%を誇った語が、告知から8時間で課から消えた。私は流行語を広めるつもりで、日本語を一語、課内で絶滅させた。

高かった棒が消え、隣に別の棒が立った

一方で「どちらの?」は止まらない。給湯室で佐野が後輩の弁当に言っていた。誰も教えていない。意味の説明も活用表もない。人から人へ勝手に移っていく。これが流行か。初めて肉眼で見た。いい語だと思う。私のではない。

ただちに佐野へ申請を送った。

「どちらの」は「どこの」の丁寧語であり、話者として集計する件、ご承認お願いします。

返信は2分で来た。「それは普及じゃなくて敬語」。

19時20分 大福楼(必要係数 20.2)

町中華の店主に説明した。

「どこの?って聞くことを、どこのるって言うんです」 「そう」

三度目の肯定である。店主は由来を聞かない。この店だけ、作戦の前から敬語も「どこの」も無い。出てきた皿は、餃子が三個多かった。一個、二個、三個。等差数列を描いて増えているのは、今のところこれだけである。

21時10分 だれた(必要係数 141)

帰宅した。発話のノルマが残っていたので風呂で22回言った。「どこのる、どこのる」と唱えているうちに、どこに乗るのかわからなくなった。湯は冷めた。甥には電話をしなかった。かけると「寝なよ」と言われることが、普及率と違って確実にわかっているからだ。

23時40分 自室(必要係数 約185京)

未配布の干し湯葉23枚は、前回のまま部屋に吊るしてある。腹が減ったので一枚取って、かじった。うまい。

「どこの」

声が出た。部屋には私しかいない。課で絶滅した語を、今日最後に発音した話者は私である。うちのだ。

23枚が22枚になった

24時00分 作戦終了

寝た。

3. 成果

発話と反応

総発話数は58回。内訳は対人36回、風呂22回。通算は540回になった。

反応満潮・弱火(対人104回)本籍(対人36回)
「どこの?」55回(52.9%)1回(2.8%)
「どちらの?」0回17回(47.2%)
「気をつけます」0回8回
その他49回10回

「どこの?」を聞かれない語を探し始めて三作戦、比率は60.3%、41.5%、2.8%と順調に下がった。悲願の達成である。

分子の審査

候補発言佐野の所見判定
部長「どちらの?」それは普及じゃなくて敬語不算入
課長、後輩「どちらの?」同上不算入
佐野本人「どこの?」通知の前なので時効不算入
店主「そう」語を含んでいない不算入
蒲田「どこの」(自室)うちのでしょ不算入

分子は0。普及地図に刺さっているピンは0本、ケースの残りは100本、うち先の曲がったものが1本。穴は1のまま。吊るされた干し湯葉は22枚になった。

普及率

分母は総務省統計局の人口推計、2026年10月1日現在の概算値1億2269万人。分子は0。今回から精度をさらに10倍に上げ、小数第三位まで算出する。

作戦「本籍」最終結果 普及率 0.000%

目標まで残り1.000ポイント。部長は私に敬語を使ったし、餃子は三個になったし、課の語彙は一語入れ替わった。入れ替えたのは私だ。次の言葉はもう、靴の中敷きに書いてあります。手応えしかない。