ガリレオ・高尾山である。
引き出しを開けると、片方しかない靴下がある。どの家にもある。誰もが見て見ぬふりをして、いつかもう片方が出てくると信じて、また引き出しを閉める。
私はこれを怠慢だと考える。片方の靴下は、もう片方を待っている靴下ではない。すでに別の製品なのである。製品であるなら、取扱説明書がなければならない。説明書のない製品を家に置いておくのは、危険である1。
そこで私は、片方の靴下のための取扱説明書を書いた。以下にその全文を掲げる。製造元は存在しないので、私が書いた。

はじめに
このたびは、靴下の片方を失われましたことを、心よりお祝い申し上げます。
お手元に残った品は、もはや靴下ではありません。本書ではこれを「単靴(たんか)」と呼びます。単靴は、もう片方を失った瞬間に誕生する、全く新しい製品です。末永くお使いいただくため、ご使用の前に本書をよくお読みください。お読みになったあとは、単靴と同じ引き出しに保管してください。そうすれば、どちらも二度と見つかりません。
本書は、次のかたを対象としています。
- 片方の靴下をお持ちのかた
- 片方の靴下を「そのうち出てくる」とおっしゃっているかた
- 片方の靴下を2枚組み合わせて履いているかた(このかたは本書の対象外です。後述します)
本書の前提となる理論
単靴の取り扱いを理解するには、その成り立ちを知る必要があります。ここでは、私が提唱する「片方化理論」を簡単にご説明します。
靴下は、2枚で1つの製品です。これは誰もが知っていることですが、誰も真剣に考えたことがありません。靴下を1足と数えるとき、私たちが数えているのは布ではなく、2枚の布の間にある関係です。左の靴下が靴下であるのは、右の靴下があるからです。片方がなくなると、関係が切れます。関係が切れた布は、靴下という名前を保つ根拠を失います。
では、残った布は何になるのか。片方化理論では、これを「一端の閉じた布の筒」と定義します。この筒は、靴下だったころの形をそのまま保っていますが、もう足のための物ではありません。かかとはかかとの形をしていますが、かかとを受け止める義務を負いません。つま先はつま先の形をしていますが、どこの指先にも仕えません。単靴は、自由なのです2。

この理論から、ただちに次の結論が導かれます。単靴を足に履くことは、本来の用途ではありません。単靴を足に履くのは、マグカップを帽子にかぶるのと同じことです。できなくはありませんが、製造元は保証しません。
同梱品の確認
ご使用の前に、お手元の単靴の数をご確認ください。
筆者の場合、寝室の箪笥の二段目、その奥のほうに、組になっていない布が固まっていました。全部を取り出して畳の上に並べ、1枚ずつ、もう片方がないことを確かめました。手順としては、まず全部を色で分け、似た色どうしを並べて柄を見比べ、組になるものがあれば除きます。これに40分かかりました。組になったものは1組もありませんでした。筆者の箪笥の単靴は、どれも誇り高く孤独でした。
結果は、次のとおりです。
| 区分 | 数 |
|---|---|
| 単靴(片方のみ) | 14枚 |
| 組になった靴下(対象外) | 0組 |
| 靴下かと思ったら手袋の片方だったもの | 1枚 |
手袋の片方は、本書の対象外です。手袋には手袋の理論があり、筆者はまだそれを書いていません3。

14枚の内訳は、灰色が4枚、紺が3枚、白が3枚、黒が2枚、しま模様が1枚、五本指のものが1枚でした。黒の2枚は一見すると組になりそうでしたが、裏返すと長さが違い、片方には毛玉があり、もう片方にはありませんでした。この2枚は他人です。
各部の名称
単靴の各部には、靴下だったころの名前が残っています。ただし単靴になった時点で、それぞれの名前は意味を変えています。本書では、次のように呼びます。

① 開口部 靴下だったころの「はき口」です。単靴では、物を入れる唯一の入り口になります。ここから入れた物は、ここからしか出てきません。
② 首 開口部のすぐ下のゴムの部分です。物が勝手に出ていかないよう、ゆるく締めつけます。古い単靴では、このゴムがすでに力尽きています。
③ 胴 すねを覆っていた部分です。単靴の中でもっとも広い面積を持ち、多くの用途はこの胴で行われます。
④ 屈曲部 かかとのふくらみです。単靴では、なぜここで曲がっているのかを説明できる者がもういません。
⑤ 足の甲 足の甲を覆っていた部分です。単靴では、胴の続きとみなして構いません。
⑥ 閉鎖端 つま先です。単靴が「一端の閉じた筒」であることを保証する、もっとも重要な部分です。ここに穴があいた単靴は、両端の開いた筒、つまり腹巻きの子どもになります。本書の対象外です。
安全上のご注意
ご使用の前に、必ずお読みください。ここに書かれていることは、単靴を安全にお使いいただくための大切な注意です。
警告
単靴を床に放置しないでください。フローリングの上の単靴は、踏むとたいへんよく滑ります。筆者は本書の執筆中、廊下に置いた試験用の単靴を踏み、手に持っていた湯のみを半分こぼしました。単靴は足の下にあると、靴下だったころの記憶を取り戻し、足を守るかわりに足をすくいます。

単靴に硬貨を詰めて振り回さないでください。これは用途ではありません。
注意
単靴を洗濯機に入れるときは、もう片方を探さないでください。探すと見つかる場合があり、その場合、単靴は靴下に戻ります。単靴を失うことになります(「故障かな?と思ったら」をご覧ください)。
単靴を人に見せるとき、「片方なくしちゃって」と説明しないでください。単靴は、なくした物の残りではありません。正しくは「単靴です」とだけお伝えください。それ以上の質問には答えなくて構いません4。
使いかた
ここからが本書の中心です。単靴は靴下ではない以上、足に履く以外のことに使わなければなりません。では、何に使えるのか。
筆者は、単靴にできそうなことを紙に書き出し、思いついた順に23項目を、14枚の単靴を使い分けながら、すべて実際に試しました。試験は筆者の自宅で、3日間にわたって行いました。合格の条件はひとつだけです。その用途のために、単靴を次の日もまた使いたいと思えること。
以下に、主な試験の経過を記します。
1 手袋として
単靴をもっとも素直に足以外へ転用すると、手袋になります。紺の単靴を右手にはめると、手首までがすっぽり覆われ、たいへん暖かい。ここまでは順調でした。
問題は、親指です。靴下には、親指を独立させるという発想がありません。指が5本まとめて1つの袋に入っているため、物をつまめません。湯のみを持てません。試しにノートパソコンに向かって原稿の続きを打とうとしたところ、どのキーを押しても、そのまわりの3つか4つが同時に押されました。画面には、意味をなさない文字列が1行半並びました。

五本指の単靴なら解決するのではないかと考え、在庫の1枚を試しました。指は通りました。しかし足の指は手の指より短いため、筆者の指はすべて第一関節のところで布の端に突き当たり、全部の指が軽く曲がったまま固定されました。この状態で物を持つと、何もかもが熊の手でつかんだようになります。不合格です。
2 鍋つかみとして
単靴のうち、もっとも厚手の灰色を選び、鍋つかみとしての性能を調べました。片手鍋に湯を沸かし、単靴をはめた手で取っ手をつかみ、持ち上げます。
持ち上げた瞬間は平気でした。1秒で、布の向こうにぬくもりを感じました。2秒で、ぬくもりの解釈が変わりました。3秒で鍋をコンロに戻しました。筆者は、靴下が足を守るために作られていることを、手のひらで理解しました。足は、鍋をつかまないのです。

不合格です。なお、試験に使った灰色の単靴は、その後しばらく台所の床に落ちていて、警告の項に書いた事故の原因になりました。
3 ホワイトボード消しとして
これは、筆者が試験を始める前から最も期待していた用途です。筆者の家には講義の練習用に小さなホワイトボードがあり、ホワイトボード消しは半年前から行方がわかりません5。
単靴を右手にはめ、ボードに書いた片方化理論の図を拭いてみました。消えます。驚くほどよく消えます。布の胴の面がちょうど手のひらの大きさで、指先で細かいところを、手のひら全体で広いところを消せます。専用のホワイトボード消しより速いとさえ感じました。消し終わったら、単靴を裏返して振れば、粉が落ちます。

次の日も、また使いたいと思いました。合格です。筆者は、単靴がこの用途のために生まれてきたとまでは申しませんが、少なくとも足よりはこちらのほうが向いていると考えます。
4 みかん入れとして
単靴の開口部は伸びます。胴も伸びます。そこで、どれだけの物を収納できるかを調べるため、白の単靴にみかんを入れていきました。
1個目は、すとんと閉鎖端まで落ちました。2個目は屈曲部で少し引っかかりましたが、押せば入りました。3個目を入れると、単靴は縦に伸び、ひょうたんのような形になり、開口部からみかんの頭がのぞきました。4個目は入りませんでした。正確に言うと、入れようとすると3個目が出てきました。

3個入りの単靴は、こたつの上に置いても転がらず、持ち運びも容易でした。翌日、みかんを食べる前にまた入れようと思いました。なぜそう思ったのかは、自分でもよくわかりません。しかし条件は満たしたので、合格です。
5 耳当てとして
冬の朝、玄関先で新聞を取るとき、耳が冷えます。単靴を頭の横からかぶせれば、耳当てになるのではないかと考えました。
かぶせてみると、確かに左耳は暖かい。しかし、ここで重大な事実に気がつきました。耳は2つあります。

単靴は片方です。左耳を守れば、右耳が守れません。2枚目の単靴を持ち出して右耳にあてれば両耳が守れますが、それは単靴を2枚組で使うことであり、2枚を組にした瞬間、それは靴下とほとんど同じ構造になります。片方化理論に照らして、これは単靴の使い方として許されません。
筆者は左耳だけを温めたまま、新聞を取り、家に戻りました。玄関先にいたのは1分ほどでしたが、帰ってきたとき、左右の耳の温度がはっきり違っていました。不合格です。
この試験から、本書は次の原則を得ました。2つで1組になっている物の代わりは、単靴にはできません。単靴の悲しみの源は、まさにそこにあるからです。同じ理由で、2つ必要な用途は試すまでもなく不合格になるはずでしたが、筆者は念のため全部試しました。全部だめでした。首巻きは、首が1つなので期待しましたが、巻くには長さが足りませんでした。
6 そのほかの試験
紙幅の都合により、残りの試験は経過を短く記します。
スマートフォン入れは、合格です。開口部から入れると、ちょうど胴にすっぽり収まり、鞄の中で鍵と擦れなくなりました。眼鏡拭きも合格です。綿の単靴は、レンズの指紋をよく落とします。棚のほこり取りも合格です6。ペットボトルの保冷カバーは、単靴をかぶせた麦茶がいつもより少し長く冷たかったように感じられたので、合格としました。
筆箱は不合格です。ペンは入りますが、単靴の中は暗く、手を入れて探るたびに、目当てでないペンばかりが指にあたりました。枕は小さすぎました。本の栞は厚すぎて、本が閉じませんでした。帽子は、かぶれますが、かぶった姿を鏡で見たあと、二度とかぶりたくないと思いました。歯ブラシ入れは、衛生上の理由から、筆者の判断で入れる前に中止しました。
手を入れて口のように動かす人形も試しました。単靴を手にはめ、閉鎖端を口に見立てて、講義の助手として質問をさせてみました。助手は何も言いませんでした。筆者が代わりにしゃべると、筆者の口が動きました。不合格です。
最後に、23番目の試験として、単靴を片足にだけ履いてみました。片方化理論によれば、これは用途外です。しかし、用途外であることを確かめるのも科学の務めです。左足に灰色の単靴を履き、右足は裸足のまま、部屋の中を30分歩きました。左足は暖かく、右足は冷たく、体は左に傾き、気持ちはずっと落ち着きませんでした。理論は正しかったのです。
よくあるご質問
Q 単靴を2枚、色や柄が違っても組み合わせて履けば、また靴下として使えるのではありませんか。
この質問は、実際に寄せられたものです。試験の2日目、知人のペルースプーンが差し入れの干し柿を持ってきて、畳に並んだ単靴を見るなり、赤いしま模様と黄色い水玉模様を両手に持ち、くっつけて見せました。
「これ、合わせたらかわいくない? 左右違うの、いいよ」

お答えします。それはできます。しかし、それは2つの単靴を消滅させて、1足の新しい靴下を作る行為です。単靴の使いかたではなく、単靴の終わらせかたです。本書は単靴の取扱説明書であり、単靴を終わらせる方法は扱いません。
ペルースプーンは「でも履けるよ」と言い、筆者は「履けることは問題ではない」と答えました。ペルースプーンはしばらく黙ってから7、しま模様の単靴を左手にはめ、干し柿を1つつまもうとして失敗し、そのまま帰りました。なお、筆者の手持ちの単靴には、そもそも赤いしま模様も黄色い水玉模様もありません。ペルースプーンが持っていたのは、自分の鞄から出した、自前の単靴でした。単靴は、どの家にもあるのです。
Q 単靴は、いつまで使えますか。
もう片方が見つかるまでです。
Q 単靴を買うことはできますか。
できません。単靴は、お店では売っていません。靴下を買い、片方をなくすことでのみ手に入ります。ご自分で製造してください。
故障かな?と思ったら
修理を依頼される前に、次の点をお確かめください。
症状 単靴の閉鎖端に穴があいた 原因 長年の使用によるものです。 処置 単靴は「両端の開いた筒」になりました。もはや単靴ではありません。本書の対象外となります。腹巻きの理論が書かれるのをお待ちください。
症状 単靴が、どの用途にも使えない気がする 原因 23項目中17項目が不合格であることを考えると、正常です。 処置 ホワイトボードを1枚お買い求めください。
症状 洗濯機の中から、もう片方が出てきた 原因 もう片方は、なくなっていませんでした。 処置 これは故障ではありません。単靴の消滅です。出てきたもう片方と、お手元の単靴を重ねてください。2枚は靴下に戻ります。単靴は、関係が戻った瞬間に役目を終えます。単靴として過ごした日々の記憶は、布には残りません。ホワイトボードを拭いた手触りも、みかんの重さも、片方の耳の暖かさも、すべて忘れて、靴下はふたたび足のための物になります。悲しむ必要はありません。単靴は、最初からそういう製品なのです。
お手入れ
単靴は、通常の靴下と同じように洗濯できます。ただし、洗濯ネットに入れて洗ってください。ネットに入れずに洗うと、洗濯機の中でほかの単靴と出会い、取り違えて組になってしまう場合があります。筆者の単靴にはまだその例はありませんが、黒の2枚がたいへん危ない関係にあります。
干すときは、1枚ずつ、離して干してください。
廃棄について
単靴を処分するときは、お住まいの自治体の分別に従ってください。
ただし、単靴を捨てるのは、靴下を捨てるのとは違います。靴下は、穴があいたら捨てられます。単靴は、もう片方を待つことをやめた布です。本書としては、白い小さな箱に入れ、たたんで、少しのあいだ眺めてから手放すことをおすすめします。

筆者は試験のあと、どの単靴も捨てませんでした。全部が、何かの試験で筆者の役に立ったか、立とうとしたからです。
仕様
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 製品名 | 単靴 |
| 構造 | 一端の閉じた布の筒 |
| 製造方法 | 靴下の片方を失うこと |
| 筆者の在庫 | 14枚 |
| 試験した用途 | 23項目 |
| 合格した用途 | 6項目(ホワイトボード消し、みかん入れ、スマートフォン入れ、眼鏡拭き、棚のほこり取り、ペットボトルの保冷カバー) |
| 不合格の用途 | 17項目 |
| 足に履いた場合 | 用途外(試験済み) |
| 対応する耳の数 | 1 |
| みかんの最大収納数 | 3個 |
| 付属品 | ありません。もう片方も付属しません |
保証書
本製品は、お客様が靴下の片方を失われた日から、もう片方が見つかる日まで保証いたします。保証期間中に正常な使用状態で単靴でなくなった場合は、それは故障ではなく、仕様です。
保証責任者 ガリレオ・高尾山
以上が、取扱説明書の全文である。私はこれを方眼紙に清書し、表紙に単靴の絵を描き、左上をホチキスで留めて1冊の冊子にした。表紙を含めて12ページになった。箪笥の二段目、単靴たちと同じ場所に保管してある8。

23項目中、合格は6項目。合格率はおよそ26%である。靴下として生まれた布が、靴下でなくなったあとに、これだけの仕事を見つけた。低い数字だと思う人もいるだろうが、片方の靴下に何かの仕事があると思っていた人は、これまでほとんどいなかったはずである。
Footnotes
-
危険の内容は「安全上のご注意」に記した。実際、私は滑った。 ↩
-
この「自由」という語の選択については、執筆後に少し迷った。単靴の多くは、引き出しの奥で動かずにいるだけである。しかし動かないことも自由の一形態であるので、本文はこのままとする。 ↩
-
手袋の理論は、手袋が左右で形の違う製品であるために、単靴よりはるかに複雑になる見込みである。右手の手袋の片方は、左手には何の役にも立たない。この点で手袋の片方は、単靴よりも深く孤独である。 ↩
-
私はこの説明を、試験2日目に訪ねてきた知人に実際に試した。知人は「たんか?」と聞き返し、私は「単靴です」とだけ答えた。会話はそこで終わった。注意書きは有効であった。 ↩
-
行方のわからないホワイトボード消しは、今回の在庫確認の際にも箪笥からは出てこなかった。家のどこかにあるはずである。 ↩
-
棚のほこり取りは、方法としてはホワイトボード消しとほぼ同じで、拭く物がボードか棚かの違いしかない。これを別の項目として数えるのは、合格数の水増しではないかという指摘がありうる。しかし、拭かれる側から見れば全く別の出来事であるので、別に数える。 ↩
-
この沈黙を、私は片方化理論への同意と解釈する。干し柿は1つ残っていたが、単靴の手ではつまめなかったので、そのまま残された。私が食べた。 ↩
-
本書の清書を終えた夜、洗濯機の糸くずフィルターの裏から、灰色の靴下が1枚出てきた。引き出しの灰色の単靴4枚と見比べたところ、そのうちの1枚と、長さも毛玉の位置も一致した。2枚は靴下に戻った。したがって、私の在庫は14枚ではなく13枚であり、本書の「14枚」はすべて誤りである。さらに言えば、戻った1枚は、ホワイトボードの試験に使ったあの単靴であった。本文は直さない。 ↩
ガリレオ・高尾山
